震災遺構・荒浜地区住宅基礎を公開・2019年10月

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2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波で破壊された、若林区荒浜の住宅跡が「震災遺構」として保存、無料公開されたというので見てきました。8月に公開が始まり、9月に駐車場が整備されました。


仙台市中心部から一番近い海水浴場「深沼海水浴場」 の直ぐ手前の住宅地だった場所です。


災害危険区域に指定されて再び住むことが出来なくなった地区の中で、6戸の住宅跡を津波の威力、恐ろしさを伝えるために、震災遺構「仙台市荒浜地区住宅基礎」として整備し公開されました。住宅跡を巡るように歩道が作られて、7か所に説明看板が設置されたので駐車場の方から歩いて見ていきましょう。


最初の説明看板には「大地を削る津波①」と書かれています。
平坦だった地面が津波の力で2mほどの深さにえぐられていました。


住宅跡が並ぶ場所の手前には震災の説明と仙台市の被害状況、 荒浜地区の住宅の保存についての説明などが書かれていました。震災前、このあたりには約800世帯、2200人が住んでいたそうですが、津波で全ての住宅が被災して190人以上の犠牲者が出てしまいました。


住宅跡にやってきました。木造の家は跡形もなくなり、コンクリートやブロックで作られた壁や基礎部分だけが残っています。写真の左側奥に見える建物は、同じく震災遺構として2017年から保存公開されている「仙台市立荒浜小学校跡」です。


2番目の説明看板は「くりかえす津波」というタイトルで、記録に残されている最も古い西暦869年の貞観地震の津波から、1611年の慶長三陸地震などの被害が書かれていました。


3番目の説明看板は「大地を削る津波②」で、1番目の看板と同じく津波で地面が削られた場所です。住宅のすぐ横が削られたために住宅が傾いてしまっています。


4番目の説明看板は「被災前後の様子」で、2枚の写真で震災の前と後が比較されていましたが、残された住宅跡を見ても震災前を想像するのが難しいほど変わってしまいました。


5番目は「荒浜の暮らし」
看板の後ろにあった住宅は仙台市内の一般的な一戸建てよりも広い敷地で、昔の農家の面影が残っていて母屋と浴室、便所、作業小屋などが分かれていたことなどが書かれていました。


最後の看板は「荒浜のこれから」
災害危険地域に指定されて住宅が再建できなくなったことや、内陸部に再建された住宅地の様子などが書かれていました。


震災遺構として公開された敷地の奥、一番海側には「荒浜記憶の鐘」というモニュメントが設置されていました。両手を広げた人をかたどったデザインで、荒浜を襲った津波の最高到達高が13.7mだったので、手前の丸い石からモニュメントまでの距離を13.7mにして表現しているそうです。


海側から震災遺構を見てみると、奥の方に仙台市中心部の高層ビル群が立ち並んでいるのが見えました。手前には県道亘理塩釜線と並行して盛り土して作られた道路「東部復興道路」が横に通っています。仙台駅から直線距離で10キロほどの場所なので、「荒浜小学校跡」とともに全国から見学に訪れてほしいものですね。

若林区荒浜・深沼海水浴場の現在・2019年10月