史跡 陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設オープンその2

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前回に引き続いて、若林区木ノ下にオープンした陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設と、その周辺を見ていきます。


現在の陸奥国分寺の入り口の前に、創建当時に存在していた廻廊を再現した「天平廻廊」と、それに併設されたガイダンス施設が建設されました。ガイダンス施設は無料で、事前予約すれば案内も無料でしてくれるそうです。


ガイダンス施設の北側では、発掘調査で見つかった築地と堀の場所を植栽とくぼみで標示しています。


築地は寺の周囲を囲んでいたもので、それにより当時の国分寺の範囲がわかるんですね。


築地の横には、国分寺の南大門跡に建てられた仁王門が立っています。源頼朝が奥州藤原氏を攻めた時に伽藍が焼失し荒廃していた国分寺を伊達政宗公が再興しました。この仁王門も慶長12年に政宗公により建てられたものと言われていますが、茅葺屋根や彫刻が江戸時代よりも古い時代のものであることから、室町時代に國分氏が再建したものではないかという説もでているそうです。


仁王門をくぐって現在の陸奥国分寺の境内に入ってみましょう。境内の中央を通る参道は奈良時代の創建当時から国分寺の中心を通っていました。


参道の途中には発掘調査で発見された中門跡が礎石を置いて再現されています。


中門の礎石の先には廻廊の礎石が並んでいて、創建当時の伽藍の規模の大きさが実感できますね。


参道を先に進んで行くと金堂跡がありました。こちらは中門よりも更に大きな建物跡です。


金堂跡の東側には、江戸時代初期に建てられた鐘楼が立っています。老朽化が激しいのか、あるいは震災で被災したのかわかりませんが、鐘楼の周りが立入禁止になっていまいした。


そして、国分寺の本堂に来ました。薬師如来を祀っているので現在は陸奥国分寺薬師堂と言われています。慶長12年に伊達政宗公により陸奥国分寺講堂跡に建てられました。仙台市内最古の本瓦葺の建物だそうで、国の重要文化財に指定されています。


お参りを済ませて仁王門まで戻って来ました。仁王門の右外側には今回建設された天平廻廊が見えました。奈良時代の創建当時の廻廊と後世に建てられた仁王門が、まるで時を超えて存在しているかのようでした。今まで観光ルートには入っていないことが多かった陸奥国分寺ですが、天平廻廊とガイダンス施設の建設で新たな仙台観光のひとつになって欲しいものですね。